初対面だったり、よく知らない相手に無愛想だったり、ぶっきらぼうにできる人を「すごいなー」と思っていました。
尊敬と言っていいかも。
えーっと、わたし、喧嘩も言い争いもめちゃくちゃします。怒ることはします。
でも、怒る要素がないときの無愛想やぶっきらぼうが、わたしの中ではなかったのです。
怒る要素がないときの無愛想やぶっきらぼうって、何だろう。
どうして無愛想なの?怒っているの?と思って聞いてみたこともあるのですが、どうやらそうではないのですね。
お客様が多かった我が家。小さいころからの親のしつけで、人には
- 笑顔で
- 親切に
- ハキハキと
- 感じよく対応する
ということが、骨の髄までたたき込まれていました。
(そうしないと、親族やご近所さんに何言われるかわからないから、親が恥をかくから、というようなことを言われていました。お客様が帰るとプチ反省会が開かれました。)
[広告]
おかげで、小さいころからある程度の礼儀はわきまえることができ、どこに行っても、社会に出ても困らなかったので、その点は感謝しています。
でも、疲れるんですね。ドップリと。
今でこそ、ある程度自分をコントロールできるものの、以前はまったくコントロールできずに必要以上に気を遣う、ということを無意識にやってますから、愛想を振りまいて疲れちゃうわけです。
学校から帰ってきたりすると、しばらく立ち上がれない。あしたのジョーみたいに真っ白く燃え尽きている廃人状態。で、しばらくすると、今度は親と向き合うために元気に立ち上がる。
そんな子でした。
この人にはタメ口でいいでしょ。
ここは無愛想でいいでしょ。
という場面でも、そうはいかないんですね。
「ご一緒にポテトいかがですか」どころではない美容院の「ご一緒にいかがですか」料金 - おうつしかえ
美容院や、お店の店員さんにタメ口を聞かれても、こっちからため口は返せないし、
お子さんにいいきかせておいて欲しい「交通事故にあったら」 - おうつしかえ
ひき逃げされそうになっても「大丈夫です!」と、元気よく言い、すっくと立ち上がり、笑顔まで作って見せたりしちゃうわけです。
病院でもこんなことがありました。
入院をして、わたし自身としてはとてもつらくて、あまりにもつらかったので、看護師さんに痛み止めを多めに所望したり、「いかがですか」と聞かれると「とても痛くてつらいです」と、伝えていたのですが、
看護師さんね、
部屋に来て、わたしの顔を見て( ̄m ̄〃)ぷぷって笑うんですよ。
「なんでしょうか」
と、聞いてみたら
「いや~ナースステーションでも話題になっていたので」
「なにがですか?」
「いつもハキハキお元気なばんばんさんって」
「えっ?」
「あまり痛みもないようですね。すごいですね」
えええええええええ?
「つらい」って伝えてたのにぃ~~~
「痛みがひどい」ってあんなに言ってたのに~~~
つらいときはね。
ハキハキ笑顔で言ってちゃダメなんだな、と思い知らされた瞬間でした。
不快なときも笑顔で
辛いときも笑顔で
それはいいけど、相手につらいことを伝えたいときは、そうじゃないほうがいいのかもな、と思ったわけです。
いつも、どんなときも無愛想に振る舞うことがいいわけではない、ということもわかっています。
でも、笑顔で怒る人(竹中直人)みたいだと、それはわかりにくいし、ある意味怖いかも。
いまは、力を抜けるようになりました。
困った時や嫌な気持ちの時にはそういう表情を浮かべることもします(しているつもり)。
絶句したり、能面みたいな表情で、相手の言葉を待ったりすることもできるようになりました。
で、能面みたいな無表情をしているつもりの自分を、ふと鏡を見てみると、あらら3才は老けて見えますね。しかもめっちゃ怖い顔。
やっぱり、もう、笑顔でいるほうがいいってことなんですね。
きっと。
口角あげるだけで、幸せ成分が分泌されるって言いますし。
全然まとまりませんが、
よし!今日はたまっていることをサクサク片付ける。ツイッターやはてな見てヘラヘラ、えへへ、して過ごさない!!(`・ω・´)キリッ
— ばんばん (@banban201405) 2014年7月2日
ということで、
今日はここまで~
[広告]
■合わせて読みたい