「どうしてそうやって刹那的に生きているの?」
と言われたティーンから20代前半。
言われた「刹那的」には「自暴自棄」みたいなニュアンスが多分にありました。
「自分を大切にしない人だねっ!」という非難。
犯罪をおこしたわけでも、自ら危険に飛込んでいったつもりもないけど(見方によっては飛込んでいたらしいけど)、「別にいつ死んでもいい(かな)」とか思っていた頃。
同乗していた車がカーブを曲がり損ね、あわや崖下に転落というところを、運転者がハンドルを切って崖と反対の山に突っ込み、木に激突、エンジン一発ストップ。車全損。同乗者全員負傷。
その、まっただ中、わたしだけが冷静にその情景を見ていました。
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一瞬の出来事なのに、まるでスローモーションのようにひとこまひとこま覚えています。そして「ああ、これで死ぬのかな」と思っていました。
誰も死なず、酷い後遺症が残るような怪我をしなかったことが幸いでした。
その前も自動車にはね飛ばされたりしていますが、
母より長生きしなくては、と思ったのがその頃かもしれません。
苦労した母をこれ以上悲しませてはいけない、と思ったのです。
(母、長生き過ぎるから、もうどっちが先でもいいんじゃね?とか今は思うこともありますが)
死について考えない日はありません、くらい、普段から身近に考えていますし、その話題はタブー視していません。
よくある話題としては、「あと1日しか生きられなかったら何をする?」ですが、
いつも通りです。
いつも通りにしたいです。
そういう自分でありたいです。
(最後に食べるのがフレンチフルコースじゃなくて、サッポロ一番塩ラーメンでもいいです。バンザイです。)
いつだって「明日生きている」とは限らないから。
だから人と別れるときはできるだけ笑って別れたいし、送り出すときも笑顔で送り出したいけど、それがいつも完璧にできなくても、それはそれでいいのです。
それが日常だから。
ビバ!日常。
サボってしまった自分も、
何も成し遂げられなかった自分も、
それも、今日のわたしで、
さらに、明日のわたしで
さらに、あさってのわたし
さらに
これはサラミ。
いまは刹那的とは正反対に
「意地汚いくらい生きている」
と思ったのですが、
ああ、それも刹那主義なのかな、と思ったこの記事。
うん。
わたしもそんな感じです。
いまのわたしはプライベートなことは、目の前の小さなしあわせー♪なことを素通りせずに見て、世界を祝福したい、という気持ちです。
持てるカード、手に入れられるカードが減ったということなのかもしれません。この心境は。
現実はもちろん幸せなことだけではありません。悲しい出来事も辛いこともたくさんあります。でもそれはそれこれはこれ。楽しいことと悲しいことは相殺するものではないのです。
そして、だからといって何も努力をしないということではないですが、ちょっとね、力が抜けたというか、反省懺悔の日々というか、また来世っていうか。
ということで、定番ではございますが、
皆様の益々のご清祥をお祈りしております。
今日はここまで。
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