おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

でも車はよける

いつ死んでもいい

と思っていたりする。

 

あるときからできるだけ

死を神聖化しないようにしてきた。

 

死んだら終わり。

人はいつかは死ぬ。

仕方ないこと。

 

わたしが死んだら

悲しんでくれる人はいるだろうけど

それはたいていの人には遠い出来事で

すぐ忘れて

時々思い出す

くらいのことでしかないだろう。

 

もう少し近い人でも母を除けば

わたしがいなくて困ると言う人はいないし

悲しんだとしてもそれは

あまり大きくないのではないかと。

 

母にしてももうどっちが先か?

くらいでしかないし。

 

 

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いっそのこと死んでしまえば、

親族は悲しむかもしれないけれど

保険金も入ったりして

それなりに潤って楽になる。

 

という考えに取り憑かれていたことがあった。

 

有意義に死ぬ。

 

人を助けて死ねるなら

それが一番いいと思った。

 

そんな時が来たら、勇気を出して

身を投げ出して人を救いたい。

 

他殺や事故に見える死に方もあれこれと考えた。

考えてある程度の結論に達したときには、

とても疲れ果てていたし、

なぜだか涙がぽろぽろとこぼれた。

とても悲しかったし寂しかった。

 

「死ぬ」という気持ちは

今でもなかなかぬぐえなくて

いつもわたしの根底にあるんだけど

 

でもね。

 

一昨日、横断歩道を歩いていたら

車が突っ込んできたのよ。

(横断歩道前では停止しろやっ!おいっ!)

で、わたしは普通によけるの。

 

アッブナイナー

 

って思いながら。

 

同じ一昨日。

電車のホームを歩いていたんだけど、

混雑して線路に落とされたら嫌だから

線路側をやめて

ホーム中央を歩くようにしたの。

 

死にたくないからね。

 

どっちなんだ?

って、自分に突っ込む。

 

いま、そんな感じ。

 

もう、次の息は吸わなくていいやって思う瞬間。

No.1413 楽に死にたい - ダメシ添加大戦

 

もう、次の息は吸わなくていいやって思う瞬間。

このフレーズは何か心に残った。

 

「死んでもいいと思っている」

と思ってるくせに

自分が死ぬ決心をしたときのことを思うと、

泣きそうになる。

 

やっぱりわたしは

生きていたいんだと思うし、

誰のためにも役にも立たないと思っていても、

植物も動物も昆虫も生きているわけだから、

 

これからも

まだ今のところは

生に執着して生きていこうと

これを書きながら思った次第。

 

はー。

何か疲れた。

 

明日はいいことあるといいな。

みんなにもいいことあるといいな。

 

今日はここまで。

 

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