母のことは大好きでした。
母は、容姿端麗冷静沈着計画綿密不言実行南無八幡大菩薩、みたいな人でした。
わたしは母とは違って、猪突猛進大胆不敵無鉄砲厚顔無恥移り気食べ放題みたいな人ですから、わたしが何かをしようと思ったときに、母が憂慮する気持ちもわかるのです。
わたしが何かをやりたいというと、
母は必ず
「・・・やめたら?」
と言いました。
それは、たいていの場合、
「やめなさい!」でもなければ「○○だから、やめた方が良いと思う」でもありません。
「・・・やめたら?」
なのです。
わたしの脳内変換もあると思うのですが、何かをしようと思ったときに、母に賛成をしてもらった記憶がほとんどありません。
自分のやりたいこと、したいことを、言い「どうして?」と聞かれて、その理由を説明をしても、母に「いいと思う」「そうしなさい」と言われた記憶はないのです。
「・・・やめたら?」
です。
もちろん理由は聞いてくれます。いくらでも。母は聞き上手です。前のめってアドバイスなんかしません。静かに聞いてくれます。でもひとしきりわたしの話を聞いた後、言われることは
「・・・やめたら?」
です。
静かに、そして、あからさまに「反対」とも言わない、あの
「・・・やめたら?」
が、昔はとても嫌でした。
もっとバーーーン!!!!と「やめなさい!」「絶対反対!」と言われれば、こちらも言い返しようがあるのに、
「・・・やめたら?」
ですからね。
これ、わたしには効きました。
反対されたら(若かりし頃は)、余計に盛り上がるタイプです。
母大好きでしたからね。
なにか興奮の芽がそがれるのです。
「・・・やめたら?」
と、言われてたら
「えーー?」って、そのあとしばらく冷静に考えますから。
考えてやっぱりやりたい、と思ったら、やりますから。
だめだなーって思ったら、やめますから。
「・・・やめたら?」
と言われて、それが納得できない場合は
「いや、やる!」
「やめない」
「こうしたいから」
と、言って、説得しましたし。
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よかった。
言ってきて行動してきて~~。
アブナイアブナイ(´▽`) ホッ
おかげで、わたしのすべての人生は、すべて余すことなく、結局は自分ですべて選んだのだと、迷うことなく言えます。
選んだ結果、失敗したと思うことも、山ほど・・・いや、逆に失敗だらけの人生だと思っているわけですが、七転び八起きどころか、七転び八転びのどうしようもないくらいダメ人生だと思っているわけですが、ご迷惑をおかけした方、不快な思いをさせてしまった方、皆様に、お詫びと懺悔の行脚で余生を送りたいくらいですが、それでも「自分で選んできた」ということが、わたしを支えています。
自分で選んだのですから、誰も責められません。
誰も恨めません。
そんなわけで、母とわたしは似てないな、と長いこと思っていたのですが、もしかしたら違うのは、そこに向かって綿密な計画を冷静沈着に練るか、激情的に突っ走るかの違いだけで、自分で選んで実行するというところは、意外とわたしと母は似ているのかもしれません。
母、存命です。
もう高齢ですし、持病もあり「もう来年は生きていないと思う」「いつ死んでもいいから」「もう死ぬから」と、死ぬ死ぬ詐欺を長いこと繰り広げているのですが元気です。
3日前にひっそりと家出を企てていることを知りました(口止めされました)。
ああああああ。どーする?どうなる?
この母にしてこの子あり。
母とわたしはとても似ているのかもしれません。
秘密を抱えておくべきか、それとも相談すべきか、
「選択できない」というところで、
今日はここまで~
今週のお題「選んでよかったもの」
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