おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

雛人形は恨まない

わたしの雛人形は七段飾りの豪華な人形でした。

 

広い家に生まれ育ったので置く場所にも困りませんでしたし、そういうお祝い事には「お金を惜しまない」というわけではありませんでしたが、頑張ってお支度してくれたようです。

 

小さいころは雛人形のお道具で遊びたくて、段から降ろしては母に嫌な顔をされました。「お内裏様とお雛様(姫も殿も両方お内裏様というらしいですが)のお道具はだめよ」と強く言われていましたが、お内裏様の刀は遊びたいですよね。母の目を盗んで上のきょうだいがお内裏様の刀でわたしが左大臣の刀を使って遊んでいたこともあります。母は自分の雛人形がなかったとのことで、その雛人形をとても大切にしていました。

 

 

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お雛様は早く出して早くしまう、というのが世の中の習わしですが、わが家は2月の半ば頃か終わりに出して、3月の確定申告が終わるくらいまで出しておくというのが定番。母と一緒にあれやこれや言いながらお雛様を出すのも楽しい行事でしたが、わたしが成長するにつれて母一人で出して、母一人でしまうようになりました。わたしにとってお雛様はそれほど興味のあるものではなくなったのです。最後のほうはもうお雛様を出すことすらしなくなったと記憶しています。

 

「最後のほう」というのは、その雛人形はもうないから。家を取り壊すときに一緒に処分をしてしまいました。広さだけはあった家を取り壊してお引っ越し。次に住むのは築何十年の2間の賃貸アパート。そこには雛人形を飾る場所はおろか、何箱にもなる人形の箱をしまう場所もありません。母は残念がっていましたが、仕方ない仕方ない。わたしはというと、全然かまいませんでした。だって成長を祈ってくれて用意してくれた雛人形なのですから。お気持ちいただきましたーってなもんです。

 

何年か経って、それからも紆余曲折あって、少し余裕が出てきたら母が言うようになりました。「あなたの雛人形は立派なお人形だったのに捨てちゃったわね」「お内裏様とお雛様だけでも持ってくればよかった」

 

その都度「いいんだよ。役目は果たしてくれたよ。わたしも立派に育ったじゃん」と言いましたが、母は時折雛人形が夢にも出てくるそう。どたばたのどさくさで雑に捨ててしまった雛人形たち。

 

「怒っていたりするのかしらねぇ。あんな風に捨ててしまって」「恨んでいたりするかしらねぇ」と母が言うたびに「恨むわけないじゃん!」「大丈夫だよ。わたしも覚えているし写真もあるじゃん。気持ちだよ気持ち」と言いました。立派に成長できましたから。わたし。人間として立派かどうかは別として。

 

銀座で小さな雛人形を見つけたのはそんな頃。これなら小さなお箱一つなので収納にも困りませんし、飾る場所にも困らなさそうです。小さいわりには細かく作ってあって、安くはありませんでしたが、何よりも一目で気に入ったのです。思いきって買って母にプレゼントしました。喜んでくれましたが、それからも母は捨ててしまったわたしの雛人形のことを時々口にしました。

 

いつか自分の雛人形を買ってしまおうか。

 

と、そんなことを思った雪の降る2月の下旬。松屋町へGO!閉店間際のお店を何軒か見て周り「これだ!」と思った七段飾りを買いました。この時は広いところに住んでいたのでコンパクトではありますが七段飾り。こういうのもご縁なんでしょうね。お顔もお道具も気に入った雛人形が見つかったのです。母にも写真を送って見てもらって「これがわたしの雛人形だよ」と伝えました。

 

そして、それからまた何年か。飾ったのはいったい何回だったでしょうか。片手で足りるような気がします。わたしも何回かの引っ越しをしてほとんど七段飾りを飾ることがなくなりました。何よりも出すのがめんどくさい。忙しい。

 

心に引っかかっていても、年月が経つとさらに出す気がなくなって何年か。いつも3月は申し訳なさと寂しさが心の奥底に沈んでいるようです。「あぁ。今年も出してあげられなくてごめんよ」いっそのこと処分してしまおうかと思ったことも何度か。

 

母にあげた雛人形もどうしたでしょう。母もその後の何回かの引っ越しでなくしてしまったか処分したのかと思っていましたが、今年、母が飾ってくれているのを見ました。何年もたつのに綺麗なままでした。

 

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f:id:banban:20180316113431j:plainマリーと比べると小ささもわかるかな?

 

「あなたが買ってくれた雛人形だもの。捨てるわけないでしょ」

わたしも思いきって自分の雛人形を出してみようかな。

 

お内裏様とお雛様だけ出してみました。お内裏様とお雛様だけではさみしいので、屏風と雪洞と桜橘も一緒に玄関に飾りました。

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全部の箱を点検しましたが、何年も経っているのに雛人形たちは嘘のように綺麗なままでした。お顔も衣装もお道具も。タイムスリップ感。

 

玄関を通るたびに鎮座ましますお雛様がにっこりしているように思えます。声をかけると気持ちがやわやわします。このお人形たちの顔も衣装も好きです。何年経っても好きでした。やっぱり好きでした。

 

毎年3月、わたしは不安定になります。アレルギーや季節の変わり目のせいです。つらかったことがたまたま3月に重なったからでもあります。春の訪れと共にその辛かった記憶が蘇ります。今がとても幸せならそんな気分も吹き飛ぶのかもしれませんが、そうでもないしーそーでもないしー。雛人形を毎年出してあげることすらできない自分のふがいなさなんかも拍車をかけていたように思います。胸に重くつかえること。「あぁ、今年も雛人形を出さなかったな」

 

出してみたら「なんだ、こんな簡単なことだったのか」と思いました。なんでこんな簡単なことをめんどくさがっていたんでしょう。なんでしょうね。お内裏様とお雛様だけ出すことや玄関に飾ることをなぜ思いつかなかったんでしょう。余裕がなさ過ぎだろ。わたし。

 

母に直接見てもらうことはできませんでしたが写真を見せて、一緒にひなあられを食べながら、また捨ててしまったほうのわたしの雛人形話をしました。

 

「あれは立派な雛人形だったのにね」

「お母さん。雛人形は恨まないよ」

 

今日はここまで。 

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