おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

気をつけてね

ごく近しい人が音楽活動をしている。あちこちでライブをし、いろいろな年代のいろいろな人と付き合い、それはそれは楽しく、つらいこともあっても、もう何年も継続してやっている。音楽で身を立てているわけではないから、生活や学業や仕事の合間を縫ってかなりのものを捧げてきた、という感じ。

 

それが彼女の生きる道、だと思っている。時には人生に立ち止まって進めなくなったこともあった彼女。それでもまた歩き始めて、真っ直ぐでない道をがんばって進んできた。そういう彼女に「音楽」という生きがいが見つかったことは喜ばしかった。まさに生きがい。よかった。

 

音楽活動をしている中ではトラブルもあった。彼女はいわゆる「アイドル」ではないけれどファンもいるし、ファンでもないのに恋愛感情というか執着心を抱いてすり寄って来る人もいる。以前からちょこちょこそんな話を聞いていて心配をしていたところに、先日の事件があった。心配がやまない。

 

 

音楽活動に限らず、アイドルとして女性を宣伝文句に使わなくても、人との交流があれば、起こりうることだと思う。芝居であったり、声優だったり、人前に立つことをしていたり、ファンができるような活動はすべからくそうだと思う。恋心なのか執着なのか。何かを誤解してしまったり、思い込んでしまう人はいる。確かに。仕方がない。仕方がなくはないけど仕方がない。

 

 

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そういう人が増えたかどうか。SNSが問題なのか。わからない。でも、昔も今もいたと思う。今回は警察が動いてくれていたけど、でも不備も見えてきた。

 

 

どちらにしても警察が確実に全面的に守ってくれるなんてことはまずない。自衛。残念だけど。そして自衛したから必ず無事とも限らない。相手がいることだから。どこまでの自衛がどのタイミングで必要なのか、は、それぞれでルールもマニュアルもない。相手が残忍な行為を実行に移してしまう人なのかどうか、それは「運」のような気もする。

 

そういう人に目をつけられた時に、どういう自衛があったのか。もし執拗なストーカー行為があったとき、わたしが彼女に言うなら「活動自粛」しか思いつかない。よほどの危険を感じたら活動を自粛。*1

 

「なぜこっちが逃げなくてはいけないのか」と思うけど、「命よりも大切なものはないでしょ」と言ってしまうと思うし、そうしてほしいと思う。でも恐らく彼女は首を縦には振らないだろう。そう簡単には。

 

活動自粛で止まってしまうものや、彼女がなくしてしまうものを考えると、「そこまでしなくちゃだめなの?」「そんなにいま危険な状態なの?」「心配しすぎなんじゃないの」リスクとの葛藤になると思う。彼女にとっては、それは、生きがいと存在意義を揺るがす、ことだ、と思うと思うから。

 

そして、活動を自粛したらそれはおさまるのか。逆効果にならないのか。いつまで活動を自粛したらよいのか。自粛するのは活動だけでいいのか。家に閉じこもっていればいいのか。ケースバイケースだから正解は思いつかない。

 

わたしもリアルとネットと両方でストーカー被害を受けたことがある。ネットのほうは長く尾を引いたけれど、それがリアルにつながっての実被害は受けずにすんだ。リアルのほうは警察にも相談したが、警察では解決できなかった。最終的に夜逃げ的な引っ越しで消滅したのだけれど、あの頃のことを思うと今でもきりきりとどこかが痛む。

 

いい方向に向かうかどうかはわからないけど、危険を感じたらしかるべき人やしかるべき機関に何度でも相談して、身の安全を考えて欲しい。そうしたからといって、これまた確実な事は何もないのだけれど。

 

 

「気をつけて」という言葉には、余り意味がないと思っている。「気をつけて」は「またね」とか「いってらっしゃい」と同義の、あまり意味がない挨拶だと思ってる。何も具体性のない「気をつけてね」は、言っても言わなくても、言われても言われなくても、何も変わらない挨拶言葉だ。

 

今はそれほど切迫していないようだから「気をつけてね」とわたしが言ったところで「わかってるよ」と言われるだろうけれど、それでも「気をつけてね」と言おう。気をつけてね。いつでも相談に乗るから。

 

今日はここまで。

 

民間防衛―あらゆる危険から身を守る

民間防衛―あらゆる危険から身を守る

 

 

 

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*1:冨田真由さんの活動を否定する気持ちは一切ありません。