西原理恵子の作品は大好きで、ずっと好んで読んでいました。作品がものすごく多く購入が追いつきませんでしたが、ブックオフなども合わせて都度都度購入していました。そしてことあるごとに「これ面白いよ」と人にも勧めて、鳥頭信者を増やしていました。
まだまだ新聞に連載などはしてない頃、美大のイラスト描きの友人に「これ面白いですよ」と渡したところ「絵が汚いから好きじゃない」と突っ返されて、ああ、そういう見方もあるのか、と軽くショックを受けました。
原色を使っているのはわざとなんだよ。そこは狙いなんだよ。絵の線の太さとかそれが勢いを生んでいるんだよ。と、心の中で反論をしましたが、そうか。そういわれればそうか、とも。でもわたしは西原理恵子の勢いと生命力がほとばしるかのような動の絵柄とストーリー。そこから反転しての人生の奇や感情の奥底を覗くような静の絵柄とストーリー。その両方が好きなのです。
うわーーーーん、がははははははは、しーん、じんわり、ほんわか、ぎゃはははははは、という展開。その両極端のどちらにも気持ちを強く揺さぶられます。
元気があるときは、その静のシーンにじんわりとし、元気がない時は動のシーンに元気をもらいます。
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ちっとも知らない人なのに、作品を読み続けて、うっかり知っている人のような気持ちにもなっています。近所のおばちゃん感覚。
身近な人を描くことには賛否両論あって、他人だと訴訟になったりすることもありますし、関係がおかしくなることもあります。では家族ならいいのか。特にこどもに関してはそこまで赤裸々に(または誇張して)書いてもいいのか、ということも問題になったりします。だから人を描くのは難しいと思うのですが、西原理恵子の作品には誰にたいしても愛がある、どこか救いがあるように見えます。それでいいんだよ、という。
バイタリティー溢れる西原理恵子のようになりたいと思ったことも何度もあります。おこがましいおこがましい。才能もお金も欲しいけど、何より頑張れる自分が欲しい。そういう頑張れる人になりたい、と。いや、でも、多分、いや、わたしはわたしでもいいんですよね。というかそうでしかないんですよね。それでもいいんですよね。
そんな子育てや家族の話も読み続けてきての、この「ダーリンは70歳」。
苦労を重ねてきた西原理恵子が、ここにきて高須克弥とまさかの歳の差ナイスカップル。そこが赤裸々に面白おかしくものすごく面白く。高須克弥もただものではありません。ものすごくスケールの大きい話と、西原理恵子とのちんまりしたほんわか話や馬鹿話が、日常ではない世界に連れて行ってくれます。
ただただ、読み手としては、現在の状況に「お幸せに」というしかなくて「お幸せに」。西原理恵子をとりまく人たちのリアルや作品や活動をこれからも楽しみにしています。
余談ですが、西原理恵子作品は細かい書き込みが多くて、薄いこの1冊の本でもかなり読みでがあります。じっくり楽しめます。これもいつものことなんですけどね。
余談2
西原理恵子の食うシーンがすごく好き。
特に麺と米を食うシーンがとても好き。
この本ももちろん持っています。
今日はここまで。
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