わたし、自分のことをそれほどそーれほどバカだとは思っていないんですよ。多分。それほどは。でも、賢いとか優秀と思っているわけでもないのです。
そんな自分の愚かさを強く強く実感するのは、やはり相対的な評価。
あるグループに行けば、もうわたしなんかカスでミソで、口を開くたびに、バカっぽい返答しかできない自分を深く恥じ入るはめになります。幼い、若い頃ならまだしも、ある程度年齢があがってくると「バカなの?」と思われても仕方ないかもしれません。新しいことへの吸収力も弱くなってきますし。そうではないようにがんばりたいですが、分野違いのことについては、愚かを露呈してももう仕方ないですね。
せめて自分の実務の守備範囲内では、バカでありたくないと思うわけです。でも守備範囲だからこそいろいろあったりもします。
これ、すごくわかります。
「わたしバカだから」を言われる側で考えると、「わたしバカだから」であきらめてもらいたくないんですよ。その先には何もないじゃん!!「より、よくしようよ!!」。
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自分が指導する立場だったり、雇用する側なら、業務改善効率向上ノーミスは考えていかなければなりません。でも、自分が指導教育する立場ではなかったら、ある程度言うだけ言って、あとは自分に降りかかってこないならスルーするしかないのかなぁと思っています(もちろんチームとか業務内容次第ではそうはいかないこともある)。
仕事や業務遂行にたいしての意識が違いすぎる。そういう人を採用・教育した責任はどこにあるのか。現場にあるのか。そうじゃない。そう考えないとしんどすぎる。でも仕事は現場で起きちゃうんですけどね。どうするどうする。
で、自分が指導したときの相手からの「わたしバカだから」発言。
- よりよくしたいと思っていない
- 言われることに納得していない
- おまえに言われたくない
- 言われている意味が本当にわからない
ということがあるのではないかと思います。
ゆきぼうさんの書かれたことと状況が違うと思いますが、「わたしバカだから」を言われた立場と、「わたしバカだから」と言ったときのことを書きます。
1.よりよくしたいと思っていない
そもそも「よりよい」が何かという共通認識がずれていることがあります。
極端な話(だが以前あった)、何度「合計にはSUM関数を使ってね」と言っても、「手入力でいいし、変更されたらまた打ち直します。それはわたしの仕事ですから」と言われたことがあります。
「よりよい」が何か、そこがすでに共通認識ではないわけです。
そこから説明をして納得させて、それができるように指導して、さらにそれができているかどうかのチェックをする。
で、そういうことを自分がやる立場にいるかどうか、そこに自分のリソースさいてもいい立場なのか、ということもあります。
そして「別によりよりしたいと思っていない」人もいます。それは大変。その人を変えるのは大変。だからこうなります。
面倒くさくてやりたくないんならそういう風にはっきり言って欲しい。それを、「自分は馬鹿だから理解できない」みたいな、保身の為の免罪符で誤魔化さないで欲しい。
「俺・私馬鹿だから…」って言う人たち、あれなんなの? - Yukibou's Hideout on Hatena
やりたくないと考える人には、自分は最初からやってもらおうとは思わない。だから、やりたくないのであればその旨をハッキリ伝えてくれれば、自分が仕事を依頼したり、教育を施したりする手間が省ける。そんな人に教えてまでやってもらうんなら自分でやったほうが早い。
「俺・私馬鹿だから…」って言う人たち、あれなんなの? - Yukibou's Hideout on Hatena
「やりたくない」とはっきり言うのは、言う側からしてみてみると、現実的にはなかなか難しそう(カドが立ちまくるよね)。
◇
「やり方を変えたくない」ということもあるかもしれません。
「確かにそっちのほうが早いし効率的だけど、わたしがやり方を変えるのは時間もかかるし、めんどくさい。今のままのやりかたのほうが(自分にとっては)スムーズにいく」と思っているケース。
4.言われていることがわからない
もう一度書いておきますが、わたしはそれほど自分のことを賢いと思っているわけではないのですが、それほどバカだとも思っていないんですよ。
そして、できればよりよい方法で、よりよい明日を、と願うわたしですが、それでもやっぱり「わたしバカだから」と言ってしまったことがあります。今度はわたしが言う側の立場。
◇
指示をしてくれる人の説明は、単純明快でいつも非常にわかりやすい。
ただ、その説明を受け取る土台がわたしにはなかったのです。
たとえば、料理に例えると(たとえ話だからね)
「軽めに茹でたほうれん草を、バターで炒めて、ホワイトソースで...」
「ちょちょっと待った!!」
「軽めに茹でたほうれん草って、なんですか?」
「軽めってどれくらいですか?」
「そもそもほうれん草ってなんですか?」
もちろん教えてくれましたが、それでもよくわかりません。
たとえば、数学に例えると(たとえ話だからね)
「海抜300mを+300mと表示するから、海の深さ80mは-80でしょ」
「え?ちょちょっと待って!!」
「海抜ってなに?」
「海抜と海の深さって違うの?」
「なんで海抜がプラスなのに深さはマイナスなの?」
と、こんな感じです。
教えてくれる人に悪意はないのでしょうが、「当然知っているだろう」という感じで話が進んでいくので、いちいち「ちょっと待ってください」と、わからないところを止めて聞いているうちに、だんだん不機嫌になられてしまいました。
あきらめて、あとでじっくり調べたり考えようと思ったのですが、やはりわからず、後日「もう一度教えてください」と言って、2回聞きましたが、やはりすっきりとはわかりません。
説明してくれている人は「わからないわけないよね」「できないわけないよね」と思っているので、聞き直すたびにだんだん説明が少なくなってきます。
説明する側が「わかっているよね」と思っていても、言われたほうはそうでもない、ということはあるあるだと思っています。
「じゃ、この方法でやってね」
「...できません」
「なぜできないんだ」
「もう一度説明してください」
「もうこれ以上説明はないよ」
と、言われて
「よくわからないんですよ。わたしバカだから」
「なんでわからないんだ」
「仕方ないですよ。わたしバカだからわからないんです」
と、言った次第です。
わかんねー
頭の土台が違うー
わからない自分に腹も立つー
絶望感
でも、この「わたしバカだから」は1回言っちゃうと癖にもなりそうです。
気をつけないと。
まとめ
言う側と言われる側。言われる立場と言う立場。その関係性や立場もあるので、一言にいうことはできませんが、できれば使いたくない「わたしバカだから」。でも、関係性や立場や状況でそれしか言えなかったということもあったりするかもしれません。
会社組織である以上、そういうわけにもいかないのは重々承知している。だが、そういう事を言ってやる気を出さない人は後で手痛いしっぺ返しを受ける。その事を分かった上で「自分は馬鹿だから〜」と言っているのであれば、それは自己責任の世界なんだから、その時にくだされる評価には文句をいう筋合いはないだろう。
「俺・私馬鹿だから…」って言う人たち、あれなんなの? - Yukibou's Hideout on Hatena
言っている頻度ほど、意外としっぺ返しに合わないことも多いと思っています。それほど信賞必罰、天罰覿面という感じもしません。そういう時は、仕方ねぇ仕方ねぇと念仏を唱えます。
できれば日々、心を落ち着けていたいと思っている今日この頃。
今日はここまで。
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