卑怯な振る舞いをしている人が「卑怯なヤツは許せない」と言ったり、しょっちゅう人を非難している人が「非難する人は信用できない」と言ったり、「金に汚いヤツは嫌いだ」と言っている人が、小さい金額で小ずるいことをしていたり。
もう、それブーメランだよねっ!?自分に返ってくることがわかっていて、なぜ堂々とそれを表明するのかなぁーって思っていたんだけど、自分ではブーメランになっていることに気がついていないことは多そう。
自分のしていることや発言していることは、ちゃんと自分なりに理由があって、自分が嫌っていることとは別で、自分では正しいラインの内側にいるつもりなのだ。
そもそも。嫌いになるとか許せないっていうのは、近親憎悪的に、自分に近い物に対して沸くことが多くて、そこがコンプレックスになっていたり、そこを気にしていることが多いと思う。禁煙した人ほど喫煙者に厳しかったり、小デブがデブに厳しかったり、子育ても仕事も苦労した人ほど人に厳しくなっちゃうあの感じ。わたしはあれよりはマシだよね?って思って批判的に思うのかな。なんだろう。あの感じ。
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自分の中で「あれとは違う」「あの人とは違う」と思っている「違い」は、他人から見たら、たいした違いじゃない。そこにこだわっている自分は大きな違いだと思っていても、第三者から見るとほとんど違わない。
自分では、それとは違う別のことを言っているつもりでも、端から見たら全く「違い」がわからないから「おまえもやってんじゃん」という「おまいう」やブーメランになっていたりするのかも。
「えーそれって自分でも前に言ってない?」「違うよ。わたしが言ったのは○○ということで、××ってことじゃないんだよ」「んーそれどこが違うの?」「だからー○○は△△で、□□にはならないでしょ。でも××は□□になっちゃうじゃない。だからだめだと思うんだよね」「んーそうかぁ...でもあんまり違いがわからないなぁ。同じに思える。あんまり違わない気がする」「...」
こんな感じ。
賛同 得られず。
他人から見たらどうなのか、ブーメランになっちゃっていないか、といういうことを、それほど意識することなく振る舞うのも悪くはないし、端から見ていたら面白いし、軽い友人だったら攻撃性がない限り許せちゃったりするんだけど、それをブーメラン返しされて「わたしは違う!」といきり立っちゃうのは苦しいなぁ。
って、そんなことを考えたので、自分がイラッとしたことや、プンプンしたことや、それは違うだろっ!って思ったことを、その都度考えてみたら、やっぱりそういうケースはとても多かった。やっぱりやっぱり。自分が気になっていることほど厳しくなっちゃうのよね。自分ライン、自分ライン攻防戦。自分の中でいくら「それとは違う」と思っていても、第三者から見ると同じに見えるのだ。
自分が気になっていることは、自分でラインを引いて、独自ラインを引いて、がんばってがんばってがんばって、自分ではがんばって堪えているので(いるつもりなので)、そのラインを越えている人を見ると、猛烈に嫌な気持ちがするんだろうな。他人から見たらそのラインすら微妙だし、こちらがラインを越えていると思っている人も、その人はその人なりに自分ラインがあったりするんだろうけど。
そんな感じで己を振り返りつつ、来年は優しい人でありたい2017年の抱負とかえさせていただきます。
今日はここまで。
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