昔からの民話や童話には残酷なものも多いです。
小さいころ図書館とかで読んでいた童話や民話は、「棒でひどく打ちつけました」とか「ころしました」とか「死んじゃいました」など、のものは多かったと思います。
でも、そのお話が今の子どもたちの絵本になると、残酷な部分や黒い部分は変えられていて、誰が読んでも安全な話になっていることがあります(さるかに合戦などでは、蟹も死なない、猿も死なない、最後はみんな仲直りして仲良しめでたし、など)。
そんなに安全な話にしなくてもいいのになー子どもってもっと大丈夫なんだけどなーとか思ったのですが、今のお話になれてしまうと、昔の古い本を引っ張り出して読んだりしたときに「!!!」。近年の童話にはないような描写にふれてビックリします。
「花子とアン」の村岡花子(安東花子)氏が書いた「みみずの女王」を読んで「うんうん。これこれ!」という懐かしい感じをうけました。今の童話のトーンとは少し違って、厳しい描写もあります。
童話の一部引用・解説しています(ネタバレ)。
ご注意ください。
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みみずのフト子さんは仲間はずれ?
いばりん坊のみみずのフト子さんにみんなは
「フト子さんは、どうせあたしたちみたいな者とはお友だちになりやしないのよ。だからさそって上げなくてもいいでせうよ。一人で勝手に遊んでいるほうがお好きなんだから。」と言って、誰もフト子のそばへは寄りつきませんでした。
口に出して自分のことを自慢するフト子さん。フト子さんがあまりにもいばっているので、庭中のみみずがフト子さんのそばへ寄りつかなくなったということですね。でもこの描写も、今なら少しオブラートに包むかも。
お庭中のみみずはフト子さんに声をかけます。「一緒に遊びましょうよ」「こちらへどうぞ」それでもフト子さんは「あなたたちとは違うのよ」「一人でいいわ」と、耳も貸しません。
みんなは声をかけるけど、フト子さんが拒否をするという感じにしてみます。
お父さんセキレイがとってきたエサが小さすぎるとダメだし
お父さんセキレイは小鳥たちに一生懸命エサを運びますが、小鳥たちは満足しません。疲れちゃったお父さんとお母さんの会話。
ホホホホ、ああ、おかしい。だってあなたはいつでもちっぽけなみみずばかりをつかまえていらっしゃるんですもの。
お父さんの苦労を笑っちゃいましたね。
今ならもう少しお母さんが丁寧な感じでお父さんを促す感じでしょうか。
そうねぇ。うちの子たちはとても食いしん坊なのかもしれないわね。どうかしら?少し太っているみみずを捕まえてきては?きっとそれなら子供たちも満足するんじゃないかとと思いますわ。
と、提案型で柔らかさを出します。
フト子さんを食べてしまう
大きい立派なみみずのフト子さんを大喜びで食べます。
「立派なみみずだ、立派なみみずだ」とほめるのをフト子さんが聞いたら、どんなにお得意になっていばったことでしょう。
食べちゃうんですね。全部。
今なら、
子供たちがお腹をすかせているフト子さんは、自分の太った体を少し分けてあげました。子供たちは満足し、お父さんはフト子さんを仲間みみずの待っているお庭まで送ってくれました。
庭のみみずたちが心配しているところに、フト子さんが戻ってきました。
「フト子さん、ああよかった」「ご無事だったのね」
みんなのあたたかい言葉を聞いて、フト子さんは自分がこれまで威張ってきたことを思い出して恥ずかしさで身をくねらせました。そして、反省し、お庭のみみずに言いました。
「ありがとう。わたしはいばりん坊をなおします。いままでごめんなさい」
と、フト子は頭を下げました。
そして庭のみみずたちとフト子さんは一緒に仲良く暮らしました。
という感じになるのかもしれません。
う~ん(笑)
みみずの女王はここで無料で読めます。
ここで読めるお話では、最初の「桃色の玉子」と
「三十四丁目の奇跡」を彷彿とさせる「お年玉」、
天気を変えるおまじない「夢の梯子」、猫の挿絵も可愛い「三毛のしくじり」が好きです。
ひさびさにこの感じの童話を読んで、あらためてまたイソップ童話やグリム童話など原作に近い感じの黒々しい作品も読みたくなったところで、
今日はここまで~
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