おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

なぜ人を殺してはいけないのかと子どもに聞かれても答えられなくていいと思う

「なぜ人を殺してはいけないのか」

 

について、たくさんの人が書かれていますが、読まないようにしています。たぶんあまり良い気持ちにはならないから。ブコメも。

 

もし自分の子に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらどうするのか。

 

伝えたいことはこれだけです。

  • 自分は人を殺したくない
  • 自分も人に殺されたくない
  • あなたも人を殺して欲しくないし
  • あなたも人に殺されてほしくない

 

そして、なぜ「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問をしたのかを聞きます。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問は、それほどみんなが親にする質問とは思えないのです。

 

禅問答やディスカッションや言葉遊びが好きな子なら、その方面で話し合います(話し合うことが娯楽になる)。何か悩んでいるのなら、その悩みの方向で話し合います。

 

なんのために、どういう気持ちで「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞いたのか、という子どもの気持ちを聞きたいです。

 

そこに闇はあるのかないのか。

 

 

[広告]

 

怖くて怖くて仕方ない気持ちで、反意を込めて「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞いているのに、「人と人とは殺し合うものである」と言っても無意味ですし、「動物は殺してもいいのに、人を殺してはいけないのは法律?」ということを純粋に知識として知りたいのに「人は殺し合ってはいけない」と道徳的に答えても仕方ないです。

 

論点たくさんありますものね。

子どもの性格も特性もそれぞれですものね。

 

f:id:banban:20100903000203j:plain

 

簡単に答えられなくていいや。

一緒に考えていこう。

と思います。

 

親に演説されたことは、残るものもあるけど、心にも頭に残らず頭の上を通り過ぎていくものが多いです。自分で考えたことのほうが残ります。

 

ですから一緒に考えます。

 

子どもも真剣に聞いたのなら、恐らく一言で解決して欲しいとは思っていないはずです。そんなに単純なものじゃないでしょ。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えは子どもの年齢や状態、性格によって変わります。いつどの年齢で、どんな状態で言われるのかわからない、前提のない状態で、一言で言えるような答えを事前に用意しておく必要は感じません。

 

自分の子どもであっても子どもは別の人間。

一緒に考える、でいいのではないかと思っています。

 

 

[広告]

 

■合わせて読みたい