エホバの証人。
ときおり訪問されていたりしたけれど、それほど興味も関心もなく過ごしてきてしまった。
なぜなら、 私にたいしては過激ではなかったから。
もっと過激だったら全力ではねつけ、反論したと思うんだけど、柔らかかったのね。
だから、その都度丁寧に断ればそれでよくて、自分に害が及ばなかっただけに私の中では素通りしてきてしまった。
創価学会は、知り合いにも多くいたし、選挙のたびに連絡が来たりして、ムムムと思うことがあったけど、エホバの証人は
身近にもいなかったし。
いや。
今から思うといたんだ。
近くに。
思い当たる人が何人かいる。
王国会館も近くにあったわ。
この本を読んでから、ああ、そうだったか、と。
母親がエホバの証人になり、兄弟が二世として活動。のちに父も活動した人の幼少期から、抜け出すまでを本人が書いた話なんだけど、これを読んで、
そうか、そうだったのか!
と、合点がいくことがいくつもあった。
たとえば、伝導に来た人にお断りをすると、やわらかくはあったけど、何となく相手が「かわいそうにこの人」と思っている感じが伝わってくるのね。
それは、「真理を知らなくてかわいそう」「サタンに滅ぼされるわよ かわいそう」「ハルマゲドンで生き延びられなくてかわいそう」
エホバを信じればいいのにねぇ
かわいそうだわ
という、どこかしら上から目線を感じたんだけど、
それ、間違っていなかった。
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私は宗教は否定しない、どちらかというと好き。でも、誰かを否定したり、周りの人が苦しむような宗教は、私はダメだ。
と、いつも思っていたんだけど、いまモヤッとしてる。
だって、いいものがあったら人に勧めるよね?食べログだって、価格コムだって、クックパッドだって、楽天のレビューとかだってそうだよね。
この記事もそう。
読んで面白かったから「みんなもどう?」って書くわけだよね。
それと伝導と根っこは同じ感じがする。
まだ、自分の中でまとまりきれないなー。
こっちも読んでみた。
田原さんのつっこみは気持ちよいけど、「見分け方」っていうよりも、上祐史浩氏の生き方、考えかたっていう感じだから、見分け方がわかる!って読むとがっかりすると思う。
オウム事件も随分昔のことになってしまったけど、大学生とか高校生には伝えてほしいなぁ。社会科とかでやるべきだと思うわ(やってるのかな)。
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