母とは離れて暮らしています。
母もめっきり弱ってきて、
と言っても、
わたしが物心ついたころから母は
「お母さんは死ぬかもしれない」
「もう、あとがないから」
と、時々言っていました。
夫がまったく頼りにならない上に、体の弱い自分が、幼い我が子を残して、死んでしまうことは大変な恐怖だったのかもしれません。
「死ぬかもしれない」
「もし何かあったら、」
と、死ぬ死ぬ詐欺は繰り広げられました。
実際、体が弱く、心臓や呼吸器に問題があって入院もしたりしたわけですが、それでも、今から思うと、結構元気に、あんなこともこんなこともやっていたよなぁーと思うわけです(そんなに脅さなくても、という思い)。
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実は母が「死ぬ死ぬ詐欺」の発祥ではないかと思ったりもします。「弱っている」と言われても、「もうそれ聞き飽きた」的な感じもするわけです。
でも、いつか人は死にます。
どこかに死なない人もいるのかもしれませんが、
どう考えても、母と話ができる時間は、限られていると思うわけです。
それは、わたしが成長すればするほど。
成長が止まっておばさんになればなるほど。
おばさんになって、横幅だけ成長すればするほど。
母と話ができる時間は限られてきます。
折あるごとにできるだけ母に電話をしようと思っていました。せめて隔週で顔を合わせようと思っていました。
ですが、これがなかなか難しい。
いっそのこと仕事と同じようにルーチンにしてしまったらどうか?毎週決まった曜日に電話をして、隔週決まった曜日に行くようにしたらどうか?と思いました。
しばらく続きましたが、習慣化するのが苦手なわたし。これも何となくうやむやになっています。
ああ、電話しなくちゃなーーー
別に重い話をするわけではないですが、「電話をしなくちゃ」と思っただけで、勝手に重い気持ちになります。
それを振り切って「電話しよう!」と電話して、たわいない話をして切って、ああ、今週は電話をかけられた、終わった終わった、と、一仕事終えた気持ちになります。
えこさんのこの記事を読んで、ああーと思いました。
そうか。
話したい気持ち。
それをすっかり忘れていました。
母のこと嫌いじゃないんですよ。
子どもの頃はあんなに母と話がしたくて、きょうだいと母を取り合って話したものです。でも、母と「話したい」と思った最後はいつだっただろうか?
母を大切には思ってきましたが、思ってきたつもりでしたが、大人になってから純粋に「母と話したい」と思ったことはあったかしら?ないわ。多分ないわ。
えこさんの記事を読んで、肩の力が抜けました。
しばらく電話をしてなかったり、会いに行かなかったりすると、必ずのように、一言愚痴のようなことを言われるのが嫌だったのも確かですが、自分の中で勝手に義務化して、さらに嫌になっていたのです。電話も会いに行くのも。
あらためて、
- 会いたくないのか?
- 話をしたくないのか?
と、自問自答すると、
うん。
そうでもない。
話さなくても会わなくても多分大丈夫だけど、会いたくないわけでもないし話したくないわけでもないし、母の残りの人生の中で少し彩りを持たせることが電話とか会いに行くことだとしたら、それはある程度、こちらから能動的に動いていきたい、とも思うのです。
勝手に義務化していましたが、そうじゃなくて
- 話したいから電話する
- 会いたいから会う
というふうに、ちょっと気持ちを切りかえたら楽になりました。
あとで、電話します。
「話したかったから」という気持ちで。
声に出してもいいね。
「お母さんと話したかったから」
今日はここまで。
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