読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

意味を持たせない

思う・考える・学ぶ

あまり意味のないことに大きな意味を持たせてしまうことがあります。

 

例えば記念日。

例えば自分の習慣。

例えばルール。

 

そのようなことを自分で自分を厳しく律するのは、自分に過剰な負担にならなければよいですが、他人にもそれを要求したり、自分が苦しくなることは避けたい、と、最近考えています。

例えばわたしの誕生日

例えばわたしの誕生日。それは特別なことなのかどうか。生まれてきたこと産んでくれたことを親に感謝マジ感謝♪は、よいですが、誰からも祝ってもらえないからと悲しんだり嘆いたりする必要はありません。

 

たとえ今日が特別な日だとしても、明日も無二の特別な日です。何でもない日おめでとう、です。クリスマスやバレンタインデーもしかり。

 

 

[広告]

 

 

四季折々のこと

四季折々のこと。イベント。七夕だったりひな祭りだったり端午の節句だったりハロウィンだったり冬至だったり、こういうことを四季折々楽しめるのが「丁寧な暮らし」って言うのかな、と思ったりしますが(ヾノ・ω・`)ムリムリ できる範囲でしかできないから、やっぱり大抵のことはやり過ごしてしまいます。

 

そういうことをきちんとやっている人を見ると、あぁわたしって残念な人だなと思ってしまうのです。でも(ヾノ・ω・`)ムリムリ できる範囲でしかできないんだから仕方ない。そこを突き詰めても仕方ない。と、できるだけ意味を持たせないようにしています。そうするしかないから。

クリスマスや誕生日のプレゼント

クリスマスや誕生日のプレゼントをもらうことを期待するのをやめました。あげたい人にあげたい時にあげる、でいいよね、と。もらえなくてもいいよね。お祝いや贈り物をするのが100だとしたらもらえるの8くらいですが、それはそれでよいのです。プレゼントを選んであれこれ考えているときは楽しいし、祝いたいとき祝えるときは祝いたいから。

 

面倒になったり嫌になったらやめましょう。これはかなり負け惜しみ度が高い感じで、寂しい人ですねわたし。

毎日のブログ更新も

毎日のブログ更新も習慣化してしまったのでさほど苦にならなかったのですが、「毎日更新677日!!」とかになってくると、自分の中で「毎日更新」に意味が出てきます。

 

そういうのがちょっと違う感じがしてしまいました。わたしの「毎日」の記事を楽しみにしている人なんてそうそういないのが現実。それなのに自分の中で「毎日更新」に強い意味を持たせてしまっていました。

 

毎日更新に目的なんかなかったのです。スポーツや音楽、芸能、技能の世界のように毎日修練鍛錬を続けることがだいじなことなら、続けることに価値がありますが、わたしの場合、何となく毎日更新を続けていたら、いい景色が見えてくるかなー程度で日常の習慣化してしまっただけ。

 

わたしのブログ運営的には、毎日更新にそれほど意味がないとわかってからも、毎日更新を続けていたのはわたしの「飽きっぽいコンプレックス」によるものです。

 

でも796日も毎日更新したら「飽きっぽいコンプレックス」はもういいですよね。(この「飽きっぽいコンプレックス」はあらためていつか書きます)で、毎日更新をやめてみたら、髪をバッサリ短く切ったみたいにサッパリスッキリ。

服や靴も

このところ片付けも捗っていて服も盛大に処分できました。これまで捨てられなかった服もおもいきって処分。着ていないし着ないし今後も着ない服だけど、ちょっとした思い出の服や好きな服がたんまりありました。

 

そうです。それに意味を持たせてしまったのです。そして捨てられなくなってしまったのです。もうこれからはそういうものが増えてしまうことを阻止したいと思っています。どうしても捨てられないものは写真に撮って時々見直していきます。

まとめ

あぁ、今日はそんな愚痴っぽいことを書くつもりではありませんでした。ただ、何かに過剰な意味を持たせると、そこがわたしにとっての負担になるので、時々投げ出したり、ひっくり返したりするよ、ということを書きたかったのです。

 

今日はここまで。

 

 

 

[広告]

 

■合わせて読みたい