マッサンね。
マッサン。
ここ最近の回はどうも気持ちがざわつきます。
熊虎さんの話。
とうとう土地の権利書を息子が持ち出して売るとか。
だらだらと書きます。
注)いい話じゃないです。ご注意ください。
働かないで家で酒飲んでいる父
これだけでざわつくんですよ。
気持ちが。
働かないで家で酒呑んでいる。
父はそんな人でした。
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サラリーマンではなかったので、働き方はある程度自由がきいて、ずーーーーっと働かないわけではないのですが、実働はどれくらいだったのかなぁ。働かない日も多かったし、スーツ着て外出して働いている感じは醸し出していても、実際1日にどれくらい働いていたのかは謎。多分働いてないことのほうが多かったのではないかと思います。
どう考えても仕事してないよね、ということがわかりやすいのは、
朝は寝てる
昼過ぎに起きる
酒を飲む
夕方から寝る
夜、夕飯を食べて酒を飲むか
そんな自分に自己嫌悪しているのか
みんなが終わってから何か食べて飲む
それが何日も続くと嫌でした。学校から帰ってきて父が酒飲んで寝ていると、友だちとかとも遊べないし。家の中がピリピリしたりね。
ではスーツ着て、朝から楽しそうに出かけていく日はいいのかというと、そういう時は朝からギャンブルしにいっていたりするのです。油断ならねぇ。
「お父さんやっと仕事に行ったね」
とわたしが言ったとき、
「どこへ行ったのかね」
母の微妙な笑みが忘れられません。
マッサンに出てくる熊虎は、もともとは働かない人ではなく、むしろ一生懸命働いていた人です。そこは父と全然違うわけで、かつては真面目に働いて稼いでいた人が、ギャンブル的な投機的な仕事でヘタうってしょぼくれている、それはまぁ、それなりに愛すべきというか、なんか同情のしようもあるわけで、いつもいつもこういうドラマや話でざわつくときに、もう何年も何年も経っていて、父も鬼籍にいるのに「父よりマシだわ」とか比べたりしてしまい、小さいころの記憶は強いな、と感慨深いです。
とは言っても、母たちと話をしていると、わたしはたいていのことは忘れているみたいです。その後のことなんかはかなり覚えていません。母と生家を出たときはわたしももうすっかり大きくなって物心つきまくりで大人だったわけですが、その引っ越しのこととかほとんど覚えていないんですよ。嫌なことは封印。という心のシャッターが降りていたのでしょうか。
父の家からの引っ越しは嫌なことではなく、確か待ち望んだ嬉しい出来事だったと思うのですが、波瀾万丈すぎて覚えていられなかったのか、脳がちょっとあれなのか、はてなに書いてみようーと思って、思い出してみたら、初めてこのあたりをほとんど覚えていないことに気がつきました。
もう土地を売るしかねえべ
うちにも借金取り来ましたねー。
本人は威張って対応していても家族はつらい。
もう土地を売るしかない。借金返して、それなりに暮らしていくならそれしかねぇ、っていうのはとてもわかります。そうやってうちも売っていったから。
熊虎さんは、自分が稼いで買った土地に、自分が稼いだお金で家を建てて、それを手放すのなら何も恥ずかしくないですよ。回りに多少の迷惑を掛けたかもしれませんが、大丈夫だよ熊虎さん。それよりも家族としては見込みのないギャンブル的なニシン漁にかけて「来春は」「来春は」って言っているほうが怖いです。
生活の目処の立たない怖さとか暗さとか、それは回りの人の気持ちを澱ませます。しかも本人が突っ走って何も聞き入れないときは。
いつも殺伐としていたわけでなく、家族で一緒に遊んだり、ちょっと出かけたり、そういう楽しいこともありました。でも、ちょっとおいしいものを食べたり、ちょっと面白いことがあって笑っても、心の奥底にある黒いものから、冷気がわいてくるように冷えが立ち上ってくるように、心が冷えていきます。
熊虎さんの気持ちもわかる。「もう一発あてて借金かえして」っていうのもわかる。でも、一度きれいにして、また這い上がればいいじゃないか、とも思います。
父の場合は、きょうだいから相続放棄してもらい自分のものにした家土地をこっそり売っていったわけですから、たちが悪い。そんなんだから懲りなかったとも言えます。親族との話し合いが騒然としたり、親族から縁を切られたり、すべて「嫁(母)が悪い」みたいに言われていたり、そんなところも熊虎さんを見ていて思いだしました。
もちろん熊虎さんについては多少共感するところはあります。でも、父については共感できませんでしたし、バカ者だとしか思いようがありませんでした。
父は何かに取り憑かれているのだろうか。
すべて売ってしまうまで、すべてなくしてしまうまで、己がどれだけバカなことをしているのかわからないのだろうか。目がさめないのだろうか。と思っていました。
実際すべてなくしても、まだダメだったわけですが。死ぬまでダメだったわけですが。
妻や子どもを愛していたのか。
マッサンの中では「熊虎さんは妻や子どもを愛するがゆえに」ということになって、何となくみんなその方向で納得したようですが、そうなのかなーそれで過去のことがすべて許せるのかなぁと思うと、ちょっと底が浅い感じもします。許して前に進むしかないのでしょうが、マッサンのドラマの中ではこういうあたりがすべて薄っぺらい。そういうことがテーマじゃないからかもしれませんが。
ああ、もう一つ思い出しました。熊虎さんが他人に土産まで持たせていた話を息子が聞いて「俺たちには○○だったくせに、土産まで持たせていたのか」みたいなくだり。そうそう。父も外面がよかったです。お金もないくせに、人に過分な贈り物をしたり、飲食代を出したり、ご馳走したりと、外から見たら羽振りの良い男でした。父のギャンブルの話などは外では一切できないので、「いいわねぇあんなご主人(お父さん)だったら」とか、言われるのはつらい。これまたつらい。外から解ってもらえない、外に言うことすらできないつらさはつらさ倍増します。
父はわたしたちを愛していたのか。
小さいころから何度も思ったことです。愛していたらそんなことしないし、ちゃんと真面目に働くんじゃないかと思っていました。だから愛されていないし、大切にすら思われていない、と思っていました。
今は微妙です。愛していなかったこともないのかもしれないな、という気持ちです。父はそれとこれとが連動できなかったのかもしれません。
「愛しているから幸せにしよう」ということを思えなかったのか、「幸せにするためには働かなくちゃ」というふうに、行動と結果を結びつけて想像できなかったのかもしれません。
そうしながら、自暴自棄になってしまったり、虚勢を張りたかったり。だから生活を抜きにして、愛していなかったか、これっぽっちも大切に思っていなかったか、と言われたら、もしかしたら愛していた部分もあったのかもしれません。じゃあ愛ってなんだ?
もやっとしたところで、今日はここまでー。
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