元彼に言われた。
「君みたいな歌だなって思ったよ」と。
「古い曲だけど、たまたま聞いたら君みたいだって思ったよ。」
別れたんだってね。ぼくとの時のように君から言い出して
「ぴったりだよね」だって。
えーっと。
わたしのその後の恋愛まで総評しなくていいよ。
でも、痛かった。
結構、痛かった。
そこ突くかー。
飽きっぽかったわたし
なんだろう?
わたしは小さいころに習い事を2ヶ月でやめたことがある。自分なりにその習い事が耐え難かった理由はちゃんとあるんだけど、母や家族に「あんたは飽きっぽい」「すぐ飽きる」「我慢が足りない」と言われた。
そのあとの習い事は「意地でも続けてやる」と、数年やったんだけど、それでも、事あるごとに、2ヶ月で辞めてしまった習い事のことを持ち出されて「あんたは飽きっぽいから」って、言われ続けた。
そうか。
わたしは飽きっぽいのか。
「飽きっぽい」
それは、わたしが他人から一番言われたくないーでも、真実かも
と、思う言葉になった。
幸せは妥協?
いい加減に幸せのやつと妥協してみたらどうなんだ
確かにいろいろ妥協できない女だった。
だってわたしは
だから幸せになるかどうは別として、「できれば一番好きな人と結婚する」以外考えたことなかったからショックだったー
という人だから。
君はスケッチブックにデッサンだけすませたら色づけの前に投げ出す繰り返し。
ここね、教訓としていつも心に残してる。
そうなのか。
そうだよね。
デッサンだけでわからないこともたくさんあるよね。
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小説書きもそうだって聞いた事がある。
「小説家になりたい人はたくさんいるし、多少の文章を書く人は山ほどいるけれど、原稿用紙100~300枚を書きあげた人は少ない」「まずは書いてみろってことだよ」と。
短文書いただけじゃわからないよね。
いつもいつもデッサンだけじゃわからないよね。
と、妙に納得したのだ。
後半は応援ソングだった
そんな「恨み言」っていうか、「わたしへの非難」ソングかと思ったんだけど、後半はそうじゃなかった。
走り疲れたらお歩き
歩き疲れたらお休み
やがて休み疲れたらどうせまた走り始めたくなるさ。
ありがとう。
辛かったときに、これはしみた。
うん。そういう人だったね。わたし。
わたし、どうせ絶対走りたくなるの。
よくわかってるね。
どうせ走り始めるんだから、いいよね。今は立ち止まっていても。
って、何か気持ちが落ち着いた。
人生はまんざら捨てたもんじゃない
うん。人生波瀾万丈。
悲しいことも、むなしいことも、やりきれないこともたくさんあるんだけど、明日はまだ作られてないしね。
心の痛みも、胃の痛みに似てる。
痛いときには「痛ぁ~い」「痛い~~」「ううう」ってなって、胃のありかもハッキリわかるような感じだけど、気がつくと痛みは和らいでいて、気がつかないうちに、痛みはなくなっていて、胃のありかも意識することがなくなるもんね。
つらいときはつらさがキリキリ身にしみるんだけど、つらくなくなってきたら、いつの間にかつらかったことが、だんだん遠のいていって、それほど気にならなくなってくる。胃の痛みみたいに。
とてもとても辛かったことは、かさぶたのようになって、はがそうとするとイタタって、血がにじんじゃうこともあるけど。
それでも、
1日で何かが大きく変わることはないかもしれないけど、
少しずつ変わっていって、
あれ?このかさぶたもはがせそう?
って思う日もくる。
まとめ
それにしても思う。
なぜ、あの時
ロックだったあなたが聞いたの?
さだまさし。
これには入ってません ↑
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