おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

賽の河原で石を積む。日々是修行

なにがつらいって、一生懸命やったことが目の前で無駄になること。だめになること。これはつらい。これはこたえる。

 

だめになるだけならいいんだけど、一からやりなおし、が、何度も続くとこたえる。

 

穴を掘らせて、それを埋めるだけの作業をひたすらやらせるという拷問があるというけど、あんな感じのことは、ちょっとした日常の中でもあるわけです。

 

 

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それが自分のせいでも、人のせいでも、しんどいはしんどい。

 

が、やめることはできない。

やらねばならぬ...はぁあああああああああ

 

掃除したばかりのところにコーヒーをぶちまける

とか

やっと加工が終わった画像が全差し替えになる

とか

(↑みみっちいな)

 

賽の河原で石を積む、的な。

死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。

賽の河原(サイノカワラ)とは - コトバンク

  

山形県唯一の離島である飛島。賽の河原付近ハマゴウ 写真パネル YMA-062-M25 (80.3×53cm)

 

そういう「無になってやりなおす」しかないとき。

 

改善の余地が入り込めない、とりあえず目の前のことを何とかしなくてはいけないとき。

 

「これは修行」

と思うことにしています。

 

または

「贖罪」

だと。

 

「あーーーまたやりなおしかっ!!」

「掃除したばっかりなのに」

 

とか、言ったところでやるべきことが変わらないなら、ただただ黙々とやるしかないわけです。そういうときに、心の中で

 

「ちっ!」

とか思わずに、

 

「これ、修行ポイント高くね?」

と思ったり、

 

「これ、贖罪レベル高いから、罪ゲージ減るね」

とか、

 

そんなことを思って、ちょっとだけ気持ちを軽くして作業します。

 

来世はいいことあるといいな、とか。

 

今日はここまで。

 

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賽の河原

賽の河原

 

 

 

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