チルド先生の記事でこれだけ「うんうん」と頷いたのは久しぶりかも。いや、毎回読んでいるわけじゃないけど。ごめんよ。ごめんちゃい。
人を好きになるのも、嫌いになるのも、個人の自由で、誰からも強制されるものじゃない。嫌いならば、距離をおけばいいだけの話だから、まわりや相手へ伝える必要もない。 それを、あえて口走ってしまうのは、自分の好意が相手にとって高い価値があると思っているからだろうね。でも、先に書いたように、人を好きになるのも、嫌いになるのも、自分なのだから、相手はどうすることもできない。
あの人とは二度と口をきかない - 散るろぐ
ほんとそう。わたしは好きな人やものは公言するけど、嫌いな人やものについてはできるだけ触れないようにしてる。
それでも「こういうものは苦手なんだよ」「こういう人にはついていけないの」という表明をするのは悪くないとも思ってる。周りも当事者も地雷を回避できるからね。
[広告]
ただ、チルド先生のイラストや文章を見る限りこの記事は、そういう苦手な人やものの表明じゃなくて、多分、もっと直情的なもの。怒りにまかせた発露のことだよね。そういう感情をむき出しにして「あの人嫌い!シンジラレナイ!もう付き合わない!!」っていうのは自分としてはやっぱり嫌だしやりたくない。
そういう発言の裏側には
「あの人はこんなひどい人だから、付き合わない方がいいよ!わたしは間違ってないよね?」
という「周りの賛同を得たい」ことも多いんじゃないかと思ってる。現在の自分の周りには幸いにしてそういう人がいないんだけど、そういう場面に遭遇してもわたしはそこにうまく賛同できないことが多い。反論があったらその反論も心の中に留めておけない。反論したら反論したで火に油注いじゃうんだろうけど。
いろいろ聞いて考えて賛同しても、そういう風に感情を瞬間的に爆発させる人は、これまたちょっとしたことで「あの人そんなに悪い人じゃない~」「また付き合ってるんだ~」ってなるんだよね。テノヒラクルー。
「え?もう付き合わないんじゃなかったの?」「怒ってたんじゃないの?」「嫌いなんじゃないの?」ってビックリ驚くことも少なくないのよ。
そうするとわたしが軽くうった相槌が「ばんばんが悪口言ってたよ」ってことにもなりかねないんだわ。これが。こわこわ。
だからただただ聞いておいてあげるのがいいんだろうけど、たび重なるとこっちもつらくなるわけで。
「好き」は魔力があって価値は高いと思ってる。「好き」って言われただけで世界は変わる。「好き」って口に出すだけで世界が変わる。けど「嫌い」には価値を置きたくない。何言ってるかよくわからんくなったので、今日はここまで。
お熱いのがお好き (特別編) [AmazonDVDコレクション]
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2018/03/16
- メディア: DVD
- この商品を含むブログを見る
[広告]
■合わせて読みたい