生家には柿の木が7-8本ありました。
すべて甘柿で食べられる柿。
種類は次郎柿と富有柿かな。
一番多かったのは富有柿。丸い感じ。
次郎柿は平べったい感じの柿でクッションみたいな形。
ちょっと上品そう。
家にありながら、ほぼ野生と化しているわが家の柿の木。多少の前後はあっても、季節になるとどんどん柿の実が熟してきて、どんどん地面に落ちます。熟して地面に落ちた柿は踏むと嫌です(>_<)
甘みがあっておいしい柿だったので、ご近所におすそわけすると喜ばれましたが、
誰が取るんじゃい。
家族で柿が好きなのはわたしと父だけでした。
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父は家のことはほとんどしない人でしたから(仕事もしない人でしたけど)、気が向いたら取るくらいで、全ての柿の木の柿の実を取ってご近所におすそわけ、なんてするわけもないです。母とわたし。たまに気が向いた父がとりましたが、自分が食べる分だけ取って、あとは放置です。
年々放置されることが増えてきた柿の実を、「もったいない」と思っているご近所さんがいれば「どうぞどうぞ取って持って行ってください」と梯子を貸し、「柿をくださーい」という小さい子がいれば、「よ~し。お姉ちゃんが取ってあげるね。いくつ?欲しい」という感じで、ほとんどは野鳥の餌や地面の滋養になっていました。
☆
柿の木は折れやすいです。
立派な枝振りに見えても、幹からズコンと折れてしまうことがあります。ですから、「松の木には登っても柿の木には登るな」と、日頃から言われているわけですが、柿の木は小さい子でもちょうど登りやすいところに枝があります。登ってはよく叱られていました。
ですが、秋だけは別。
梯子を掛けづらいところは、身の軽いわたし担当。
「気をつけて登ってね」
とか、言われちゃったりして。
へっへっへ(〃⌒∇⌒)
猿か!?
(⊂((o^⊥^o))⊃)ウッキー!
猿娘・・・いいえ。
猿嬢と呼んでください。
そんな柿。
家、土地とともにすべてなくなりました。
☆
秋になると柿を買って食べたい気はするのですが、スーパーとかで買う気はなかなか起こりませんでした。喉のあたりに固まりがつっかえているような感じがして、お店で売っているのを見るのも嫌でした。
もう自分の家の柿の木はないのだから、食べたいときは買うしかないのですが、あれほど粗末に扱った柿を、お金を出して買うということの抵抗だったのでしょうか。それとも消化したつもりの父への気持ちが、まだまだ消化できていなかったからでしょうか。食べたい気持ちはあっても長いこと買うこはできませんでした。
今でも柿が実る頃になると、微妙な気持ちになります。
ですが、やっと買えるようになりました。それは月日がいろいろな感情を整理してくれたからでしょう。
今年も柿が出回ってきました。おいしそうなものを買って、秋の味覚として楽しみたいと思います。
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