少し思うところがあったので、勝手な読み込みと思い込みですが、つらつらと書いてみます。
- 勝手なことをされたこと(大きなお世話)
- お母さんがあんまり喜んでなかった(悲しみ)
この2点だと思うのですが、
お母さんあんまり喜んでなかった
前後のお母さんの様子を見ると、いいお母さんのようなので、
「お母さんあんまり喜んでなかった」
っていうのは違うんじゃないかなーって。
きなこさんの元気がないことがわかって、お母さんは「そっかー...」という気持ちだったんじゃないかな。
そこで、お母さんが
「うわーーーさすが先生ねっ!!素敵素敵~~~ラッキーだったねー早速使おうね~~~」
と、言ったら言ったで、
「やっぱり、わたしのよりも、先生が作った素敵な作品のほうがよかったんだな」
と、さみしい気持ちになりますから、お母さんの精一杯の配慮だったような気がします。いいお母さんだ。うんうん。お母さんのために作ろうとしてくれたことは喜んでいたのではないかと思います。
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大きなお世話
「大きなお世話」については、わたしも日々思っています。
習い事で人の分の準備や片付けを勝手にやる人。誰かがまとめて準備片付けをするほうが効率がよいならまだわかりますが、どこまで誰がやったかわからず、いちいち、聞かなくてはいけなかったり、自分でやっていると「あーそこはもうやりましたー」とか言われたり(わたしは拒否しているので言われませんが)、それはそれは非効率きわまりないのです。
そしてその準備も自分の思うとおりの準備になるとは限りません。借り物の準備もあるのですが、わたしはそれも自分で選びたいのです。人が選んだものを「これ、使いにくいなぁ」とか思いたくないのです。
わたしの場合は「生徒同士」ですし、わたしは大人ですし、別に嫌われてもいいや、と思っているので、もやもやするのが嫌なので、やんわりと言うようにしました。やんわり言っても効かないときは、年上の人にも「自分でやります」「やらないでください」とはっきり言うようにしましたが、「あらそうなの?」と流してくれる人もいれば、ギクシャクとしてしまった人もいます。
前述の記事を書いたのが2014年。人が入れ替われるので、そのたびにそのたびにそのたびに、また余計な善意に感化された人が出現しましたが、そのたびにそのたびにそのたびにやんわりと拒否して3年かかってやっと大抵の場合はかまわれなくなってきました。一番かまいたがる人が来なくなってしまったっていうのも大きいかも(あれ?わたしのせい?)。
きなこさんのケースのように、とっさのことで、さらに初めてのことだと、わたしもすぐ口に出せないと思います。え?え?なに?なに??って思っているうちに事が進んでしまいそうです。ましてや子どもだったら、大人の先生に「自分でやります!」とは言えないですね。あとからの悲しみが止まらない...
とっさに「嫌」言うことはなかなか難しいこと。わがままはダメですし、すぐ声を荒らげて怒り出すのはだめだと思いますが、嫌なことをタイムリーに相手に「嫌」と伝えることは大切なことのように思います。それは自分と人を大切にするためにも必要なこと。嫌と言えなくて困ってしまっている人は嫌という練習を。
人を変えることはとても難しいし親切は嬉しい。ありがたい。ウェルカム。困っているときにはみんなで助け合おうよ、っていうのは大好き。だから現実的には受け入れてしまって、それが嫌だったら、次の手段を考えることが多いのですが。
結局ケースバイケースで、とっさの場合はあとから後悔することが多いのかな。うむむ。
今日はここまで。
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