声の大きい人、人の話を聞かない人の意見が圧倒的支持を受けたときには、より注意深く反対側の少数派の意見にも耳を傾けるようにしています。
声の大きさ、圧倒的な数の力に真実が見えなくなることがあるからです。ですから、みんなの気持ちを冷静にするためにも、少数派の意見や、別の見方をもう一度考えるようにしたりしていました。
安易に賛成、むやみに同調はしない。
仕事などではそれが評価されることも多かったですが、めんどくさい人だと思われることもあったでしょう。
いまでも「安易に同調しない」という気持ちは持っています。ただ、それを誰にでも、どんなときにでも主張する、ということはしないようにしています。
最近はてなであれこれ読んでいて、何となくわかってきました。
[広告]
声の大きい人、力のある人が他の意見を聞かずに突っ走り、それに合わせて、おもねって、みんなが一斉に同じほうを向くのが怖かったんですね。
反対意見がまったく出ず、みんな同じほうを向くことは怖いです。
他の意見を持っている人も、
反対意見がある人も、
違和感がある人もいるはずなのに、
それを話し合いが終わったあとでは言うのに、
その場では言わず、
とりあえず同じ方を向く。
そこにも何か怖さを感じるのです。
マスコミやテレビの報道がまさにそうですね。
いいわー
すてきー
ってなったら、話題と関係のないプライバシーまで暴きまくり、
ダメだ!
間違っている!
なんてことだ!
となったら、今度はそれを攻撃のネタに使う。
そういうのも、とても怖いのです。
でも、はてなでは、揺り返しが来るのも定番。これはきついこともありますが、安心感があります。
みんながそれぞれ違う意見を持っていて、それをそれぞれに発表していくこと。それはとても素敵なこと。論旨と違うところで叩かれれば痛いけど、違う意見を男女年齢環境問わず話し合う。それは自由の証。
自由に意見を言って、自由に反論されて、さらにそれに反論する権利も、そしてそれをスルーする権利も持っているということは、すごいと思います。
はてなにはまっている理由は以前も書いていますが、本質的にははてなのそういうところが好きなんだろうと思っています。
疲れ果てないように続けていきたいです。
今日はここまで~
[広告]
■合わせて読みたい