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おうつしかえ

ブヒブヒ言ってるだけです。誰も恨んでいません。

血なまぐさくて殺伐としているが、だがしかし「忍びの国」和田竜

のぼうの城や村上海賊の和田竜の作品。

「忍びの国」

 

「なんか、読めないから(つまんないから)読むならあげる」

と言われて、大喜びでもらいました。

 

忍びの国 (新潮文庫)

忍びの国 (新潮文庫)

 

 

時は戦国。忍びの無門は伊賀一の腕を誇るも無類の怠け者。女房のお国に稼ぎのなさを咎められ、百文の褒美目当てに他家の伊賀者を殺める。このとき、伊賀攻略を狙う織田信雄軍と百地三太夫率いる伊賀忍び軍団との、壮絶な戦の火蓋が切って落とされた──。破天荒な人物、スリリングな謀略、迫力の戦闘。「天正伊賀の乱」を背景に、全く新しい歴史小説の到来を宣言した圧倒的快作。

 

ちまちま読んでいましたが、後半は一気に読み進みました。

 

伊賀の国と伊勢の国。

もちろん伊賀の国は忍びの国、忍者の国。

 

オープニングは織田信長の次男、織田信雄(のぶかつ)が北畠具教(とものり)を、日置大膳(へきだいぜん)、長野左京亮(さきょうのすけ)、柘植三郎左右衛門の3人の家臣を連れて討ちに行くところから。

 

それを天井から覗いている伊賀者(にんじゃ)の文吾(のちの石川五右衛門)。

 

柘植三郎左右衛門は元伊賀者。

 

おおおお。楽しそう面白そう。

だがしかし!多分このメンバーは主人公ではありません。

 

 

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伊賀者は人間を殺すこと、裏切ることを何とも思っていません。

目的のためなら他人を出し抜き、人を殺すことなど屁とも思うな。

その目的というのは金です。

金。

 

「銭さえ払えば辞儀だろうが何だろうが改めるがな」

  

自分の災いを他人に押しつけるのを卑しいと考えるのは普通の人間で、忍びはそれをやってもかまわないとする。

 

それに辟易とした柘植三郎左右衛門。

 

それに何の疑問も持たない下人(忍びの者)たち。

 

義賊として描かれがちな文吾(のちの石川五右衛門)でさえ

「俺はな、殺しがしたいんだよ」

 

その中でそれに疑問を持ち始める平兵衛。

「あの者どもは人間ではない」

 

平兵衛がそう思ったこと、それすらも忍びの謀略なのですが。

 

忍びの技の「なるほど」な解説があります。忍びの技はいわゆる忍者的なものもありますが、情報です。スパイです。術とは「人の心を操ることなり」なわけです。

 

何も跳んだり跳ねたりが忍術の本質ではない。

 

下人を追い使う三太夫のような地侍は、知恵をこらし策謀を練った。術をかける相手の「心」を読み解き、その「心」につけ込むことで勝ちを得る。忍びの術の真価はそこにあった。

 

 

忍びが忍びたるように育つためには、特異体質、その過程でたくさんの子どもが死んだであろうこと、ここが一番気持ちの中に残りました。

 

数ある忍術の中でもっとも信じられないのが、この骨格を自在に操る術である。伊賀忍者の中には幼い頃から骨折を繰り返させられ、骨折をした状態を常の姿とすることで、通常では不可能な身体の動きを可能とするものがいた。恐らくは、そのほとんどがこの細工の過程で死んでしまったものと思われ、可能になったのは単に運がよかったか、あるいは異常な体質の持ち主かどちらかであったのだろう。

 

生き抜いたものたちが、忍びとして生きていけるのです。

 

 

忍びとして秀な才をもつ無門。 

お国に執着する無門。

 

お国には自分の術が効きませんでした。

だが、どういうわけかお国には、術をかけることができなかった。

 

自分のものにするなら、術をかけて、すんなりかかってくれたほうが、いいわけです。騒ぎを起こさず意のままにできるーでも、無門は術をかけることができない、さらに自分にわがまま放題の苦言を言い放つお国に執着します。

 

なぜ無門がお国に執着するのか。

それが最後の最後でわかります。

 

「人間は基本的に善なる者なり」

そんな気がしてきます。

 

血なまぐさく、救いのない話のようですが、そういう意味ではわたしの読後感はよかったです。

 

信雄も若いがゆえに愚かではあるけどいい青年に描かれていましたし、信長もいい信長。

 

巻末の解説は読書家としても知られた児玉清。

ここで出会えるとは。

 

最後までじっくり読んでください。

今日はここまで。 

 

お題「秋の夜長に読みたい本」

 

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